韓国旅行初日

2004年7月17日
本日より3日間、慰安旅行のため韓国へ

大阪組は出発便が早いので、朝8時半関空に集合
海外旅行&飛行機が初めてという後輩のNくんを天王寺で拾ってから関空快速に乗った。

3連休初日ということもあって、空港は今まで見たことがないくらい込んでいた。
集合場所の団体受付カウンターはそんなに難しい場所にないので、すっといくことができた。

ところが、集合時間になっても約1名やってこない
同じ部署のHくん
彼の家は近江八幡にあり、大阪組の中では一番家が遠いのである。
今日は間違いなく5時台には電車に乗っているはずなのだが・・・

搭乗手続きも出国審査も今日は込みまくり
搭乗口についたのは、本当に搭乗が始まる寸前だった。
そしてみんなが飛行機に乗り始めた頃、Hくんがやってきた。

遅刻の理由を聞くと、京都発のはるかに乗るため、十分間に合う時間に家を出たそうだ。
そして京都駅のはるかが出発するホームで待っていたのだが、乗る予定のはるかだけ違うホームから出発してしまったので、乗れなかったらしい・・・

本人いわく、アナウンスが聞こえたので慌てて移動したけれど、ホームが離れていたのでとても間に合わなかったとのこと
ちょっとした災難だったけれど、よく出発に間に合ったなと思った。

お昼過ぎには韓国に到着
私にとっては2回目の韓国である。
バスでソウルへ

途中で昼食を食べるため、韓国料理店へ行った。
そこで明日の予定について打ち合わせをする。
明日はネットで見つけたDMZツアーに行く予定だが、今回お世話になっている旅行会社のガイドさんが明日3時からのNANTAのチケットを30席キープしてあるので、行きたい人は申し出てくださいというのである。

NANTAの公演はすごく人気で、チケットが発売されるとすぐ売り切れてしまうそうである。
一緒にツアーに出かけるAさんよりNANTAにも行きたいが、戻ってこれるだろうかと相談を受けた。

DMZツアー終了は2時ごろの予定
NANTAに出かけるための集合時間は2時20分
微妙な時間である。

今日はソウルに到着後、DMZツアーを申し込んだツアー会社に確認の連絡を入れないといけない
そのときに時間の話もしようと打ち合わせをしていたら、ガイドさんがその旅行会社に連絡してあげると言ってくれた。

何とか時間は間に合いそうなのでひとまず安心
私もNANTAに行くことにした。
しかし、明日の出発時刻が7時半から7時15分に変更になっていてびっくり
慌てて参加メンバーに伝達した。

打ち合わせも終わり、注文していた韓国冷麺を食べようと席に戻ると、既にみんな食べ終えた後だった。
トッピングのためのナムルが、いくつかのお皿にのっていたのだが、ほとんど空っぽだった。
なので、ナムルなしの冷麺を1人で慌ててかき込むことになってしまった。

今日は夕方に全員集まってパーティがある
チェックイン後にそのパーティまでには時間があったので、早速出かけることにした。

女性ばかり7人で景福宮に行くことにした。
ホテル近くの地下鉄の駅から乗り換え無しで4駅程である。

切符を買おうとすると、お札を入れる所がない
有人窓口で駅名を指しながら何とか切符を買うことができた。
ソウル市内はだいたい900ウォンで移動できるらしい
日本円で約90円なので、とても安い

駅名の横に駅番号が表記されていて、外国人観光客には凄くわかりやすかった。
最近大阪の地下鉄でこの番号表記が付くようになったが、これも外国人観光客のためだとどこかで聞いた。
実際自分が海外で電車に乗ってみて、これに関しては妙に納得がいってしまった。

景福宮は駅を降りてすぐの場所にあった。
ここを訪れるのは2回目である。
以前にやってきたときには日韓併合時代に日本が建てた朝鮮総督府の建物が存在したのだが、今は取り壊されてない。

入口付近の建物は、最近色を塗り替えたのか凄くきれいだと思ったのだが、朝鮮総督府を取り壊した後に復元した建物だったと後から知った。

一通り見た後、韓国のお茶を飲みたいと誰かのリクエスト
ガイドブック掲載のお店を探すため、また地下鉄に乗って一駅戻る。
地図を見ながらウロウロするが、結構入り組んだ道で目指すお店はなかなか見つからない。

同じ場所を何回もウロウロ
人に尋ねて連れて行ってもらった。
中に入ってメニューを見ると、メニューは全てハングルで書かれている。

漢字や英語表記があれば何となくわかるのに、ハングルしか書かれていないメニューには全員がお手上げ
英語のわかる店員さんが出てきて説明してもらい、ようやく注文することができた。

私の飲んだのはアイスのカリン茶
甘いお茶だったけれど、旅の疲れが出ている体にはとても美味しかった。
他の人も同様だったらしく、お茶を飲んでみんなボーっとしてしまったようだ。
これからホテルに帰ってパーティなんて出ずに部屋で眠ってしまいたい(笑)

まさかそんなわけにもいかず、ホテルに戻ってパーティの準備をする。
といっても平服でいいので、鞄の荷物を整理して会場へ
席はくじ引きになっているので、引いた番号の席へと向かった。

このくじ引き、場合によってはドツボにはまってしまう。
1人くらいは知り合いがいる席になればいいのだが、以前全く知らない人ばかりの席で困ったことがあった。
今回は、席に着くと同じ席に大阪の面々が関連会社の人を含めて5人
かえって緊張感がなくなってしまった。

本社や他の営業所の人たちとは飛行機が違うので、全員が集まるのはこのパーティだけである。
会いたい人を見つけるには、この機会をおいてない。

同期の人たちとはもうほとんど交流がなくなってしまっているので、今回私が一番会うのを楽しみにしていたのは、いつもお世話になっている本社のO次長だった。
私にはずっと前の慰安旅行でチラッとみた姿の記憶と数年前の年賀状の写真のみが手がかりである。
噂によると現在のO次長は茶髪にロン毛らしい・・・

本社に何度か行ったことのある同期のOくんが会場内で会って話をしたという
会場内をキョロキョロ見渡し、茶髪にロン毛の人を探すがわからない。
ビンゴゲームの最中にO次長の名前が呼ばれたことによって、初めてどこに座っているかを知ることができた。

O次長は私の席からは死角になっている席に座っていた。
その席に座っている茶髪にロン毛の人は1人だけだったので、間違いないと思ったのだが、ちょっと不安だったので確認してから挨拶に行く。

向こうも私が誰だかわからないらしく、「こんにちは」と声をかけるとちょっと不思議そうにこっちを見られたが、「コッコです」と名乗ると2〜3回こつかれた。
噂どおりの茶髪(しかもまっ茶っ茶)にロン毛で、とても40歳には見えない。(というかとても「次長」の格好とは思えなかった)

パーティが終わって落ち着いたのは10時ごろ
明日も早いが寝るにはまだ早い時間である。

ツアー会社が夜の東大門市場に行くバスとウォーカーヒルのカジノに行くバスを出していた。
往復バスでウォーカーヒルへ行くことにした。

会場にいたのはほとんどが東洋人
韓国人は入れないので、ほとんど日本人だったと思う。
3連休初日なので、中はメチャクチャ込んでいる。

もともと私はゲームをする気がなかったので見学を決め込む
帰りのバスは12時だったしそんなに長くいることはできなかったので、雰囲気を味わっただけで帰ってきた。

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