今日は朝6時20分起床
DMZ(非武装地帯)ツアーに参加するためである。

7時15分集合なのに、朝食は7時からしか空いていない。
同室のNさんは一緒に参加しないのでまだ眠っている。
起こさないようコソコソと出発の準備をする。

少しぐらい早めに行っても、朝食が食べられるかもしれない・・・
そう思い6時50分頃朝食場所に行ってみると、既に何人かご飯を食べていた。
今回申し込んだDMZツアーには昼食がついていない
今日は戻ってきてすぐNANTAの公演を見に行く予定になっているので昼食を食べる時間がないのである。
男性陣の一部もフットサルの東西対決試合に参加するため同じように昼食が食べられない。

朝食はバイキングになっていたが、誰かが昼食のためにパンをコッソリ取り分けた。
すると、それをみてほとんどの人が同じことを始めたのである。

今回のツアーは会社のオプションにもあったのだが、勝手に安いツアーを探してきて自分たちで申し込んだ。
成り行き上幹事になってしまった私は15人分のツアー料金を集めて持つはめになり、お金を持っているということが気が気でなかったのである。

ベルディスク前で待ち合わせだったのでそこに行くと、既にツアー会社のガイドさんが迎えにきていた。
こっちのメンバーはまだ揃っていない。
結局1人欠席の14人になり、ドタバタしたが無事にバスに乗り込むことができた。

バスの中のガイドさんは2人
日本語を話すガイドさんと英語を話すガイドさん
日本人は右側の列に座らされた。

非武装地帯までは結構距離がある。
バスに乗ってしばらくすると、順番に紙が回ってきて名前と国籍、パスポートNOを記入する。
約1時間で臨津閣に到着

ここからはシャトルバスに乗り換える予定ある。
今日は混み合っているので、早く行って9時20分のバスに乗りたいのだとガイドさんは言った。

シャトルバスの乗り場に着くやいなや、2人のガイドさんは事務所に走っていった。
そして英語のガイドさんのみ戻ってきて、10時までバスに乗れないという
しばらく待たないといけないので、みんなゾロゾロとバスから降りた。

するともう1人のガイドさんが慌てて戻ってきて9時10分に乗れるという
みんな急いでバスに乗る。
どうやらシャトルバスに乗るのではなく、団体なのでこのままバスで行っていいよということだったらしい。

臨津閣を出てすぐに非武装地帯に入る検問所を通る。
軍事施設なので、写真は一切撮らないでくださいと念を押された。
韓国の兵士がバスの中に入り、パスポートをチェック
そこを通過して統一の橋を渡る

しばらく行くと、遠くにコンクリートで固めた場所が見える。
そこには爆弾が詰まっていて、北朝鮮が攻めてきたときに備えているのだという。

道の両端は自然がいっぱい
よく見るとロープがはってあり、ドクロマークがついている。
地雷原になっているので、ロープの中には入らないようにとのことだった。

非武装地帯最初の訪問先は、第3トンネルと名付けられたトンネル
このトンネルは北朝鮮が侵略のために掘ったらしい
まずはトンネルについての説明を聞くため、建物内でビデオを見る。
トンネルの深さは約300メートル、水が溜まったときにはちゃんと北朝鮮側に流れるように掘ってあるらしい

手荷物は全てロッカーに入れ、ヘルメットをかぶってトンネル内に入るモノレールが到着するのを待つ
モノレールに乗ってトンネル内に入ると、中はかなり狭かった。
ちょっと頭を動かすと、もうそのあたりの岩にぶつけてしまいそうである。
地上からかなり深い所にあるので、かなり気温も低い

しばらくすると、広い場所に出てそこでモノレールを降りる。
水が湧いているので足元はかなり悪い

ここからは徒歩でトンネル内を歩く
1万人の兵士が1時間で移動できるようになっているとのことだが、とてもそんなトンネルとは思えない
岩のあちこちに黒く塗った跡がある。
これはトンネルが韓国側に見つかった時、石炭を掘っている穴だと言い訳するために塗られたものだそうだ。
ただし、このあたりに石炭が出るような場所は全くないとのことだった。
黄色く塗られた場所もいくつかあった。
トンネルを掘るためにダイナマイトを仕掛けるための印だということだった。

韓国側がどうやってトンネルを見つけたかというと、やはり北朝鮮からの亡命者からの情報だったらしい。

トンネルは途中から通行禁止になっていた。
地上ではどのあたりにいるのか全く不明だったが、とにかくこの先は立ち入り禁止
もと来た道を引き返した。

モノレール乗り場の横に、着いた時には気がつかなかったのだが湧き水が飲めるようになっていた。
冷たくてとても美味しかった。
そしてふと見ると、歩いて地上へ戻る道がある。

そういえばガイドさんがモノレールだと待っている時間が長いので、最近歩道が作られたと言っていたよね。
それがこの歩道らしい

んじゃ、歩いて上ろうかと何人かがモノレールを待たずに歩き出した。
ガイドさんは全員モノレールで戻ってほしかったみたいだったが、既に行ってしまった人がいることを知って、待ち合わせ時間にはバスに戻ってくださいねと言った。

私も一緒にいたAさんと歩いて戻ることにした。
ゆるやかな坂道で、地上も見えていたので楽勝かと思ったのだが、結構きつかった。
それでもモノレールより先に地上に戻ってくることができた。

バスの出発までに少し時間があったので、周辺をウロウロ
近くの売店に入る。
お菓子を買ったりして適当に時間を潰してバスに戻った。

次に向かったのは都羅展望台
ここからは北朝鮮が眺められる。
ここも韓国の兵士が守っていて、中に入るとまず説明があった。
手前に外に見える景色の縮小図がおいてあり、一通りの説明を受ける。
その後外に出て実際の景色を見るのだが、今日は相変わらずの曇り空

この展望台から写真を撮っても良いことになっていたが、写真は黄色い線が引いてあり、それより前に出て撮影するのを禁じられている。
この線のところで、みんな両手を上げて(少しでも遠くを写せるように)写真を撮っていた。

本当ならここから北朝鮮の宣伝村が見えるはずなのだが、曇っていたせいでほとんどわからなかった。
北朝鮮内の宣伝村に掲揚されている北朝鮮国旗がうっすらとだけ見えた。
この国旗の掲揚台は高さが160メートルもあるらしい

そして今度は都羅山駅に向かう
思っていた以上にきれいな駅でびっくりしたが、最近作られた駅らしい。
都羅山駅は、京義線という国鉄の南側最後の駅である。
鉄道はもちろんこの駅が終点になっているが、その先の線路は平壌まで続いている。
非武装地帯内のしかも南側最北端の駅とあって、ここもやっぱり兵士が警備していた。

それから臨津閣に戻って近くの自由の橋を見学した。
朝鮮戦争が終わったときに南北の捕虜が交換され、韓国の捕虜がこの橋を渡ったときに「自由万歳」と叫んだのがこの橋の由来という。
この橋も途中から通行禁止になっていた。

もうお昼近くになっている。
今日は朝が早かったので、さすがにお腹が減ってきた。

みんな同じらしく朝食時に取ってきたパンを食べたりお菓子を食べたりしている。
誰かがトッポギを買ってきて回してくれた。
が、思った以上に辛くて私は一口しか食べられなかった。(辛いものは少々苦手だったりする)

ここからはソウル市内に戻るだけである。
昨日今日と朝が早いので、みんなバスの中で爆睡
もちろん私も爆睡した。

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